3月 12, 2013

2年経った311だが

先週、土曜の夜はドクターミーティング。保険診療での算定漏れが主な話題でした。ちりも積もれば膨大になることを今更ながら実感したわけで、こう言う些細なことをちまちまと気にしながら診療にあたらなければならないワシらの職業って。。。
しかも、今まで何度も国会に陳情(モンク)で行ったパラ合金の問題。かつてからの変動に即した(笑)価格改定でワシらが当たり前に仕事が出来たのはたったの4回(/16回)。改定自体何回あったと思っているのよ。今だって思いっきり逆ざやで、補綴すればするほど赤字になるってどういうことよ。

翌日曜日は、昼から八戸衛生士学校の卒業式でして、若々しい皆さんが卒業していきました。でもさ、出席の先生少なすぎないか?講師であり、就職先ならなおさら、祝福してやれよって言う話。そんな事よりこっち(自分)が大事なんて思っているようじゃ先が思いやられますよ。彼女達に申し訳ない。

夕方から恒例の震災復興「愛と言霊ライブ」。6回目の今回も盛り上がりましたねぇ。弘前からSTKY先生や五戸のMRKS先生とか以前からワシがオファーを出していたDr.パフォーマーが快諾してくれたおかげで、今までに無い拍手喝采に少々驚いた。が、この盛り上がり方がパワーとなって次に繋がる事は間違いない。


津波から2年経った防潮堤のひしゃげたままの欄干
そんな311の辛く切ない思い出は復興のエネルギーになっているのだろうか。震災後、遺体検案のヘルプに登録するも、八戸は被災地というくくりもあってか声は掛かりませんでした。が、ワシらの勉強会HERZ会が田老に乗り込んでいったのが4月の頭でしたか。
信じられないくらいのスピードでワシらの歯科支援は進みましたな。



しかし、肝心の地元復興は遅々として進んでいないのではないかというのが正直な感想。日当の高いしかも何かと便利な仙台近辺に、人も機器も資財も流れ込んでいて、わざわざ交通の便が悪い海岸線沿いの田舎まで何も届いていないし何もしていないのが現状ではなかろうか。ちなみに建設コストは八戸でさえ倍近くまで跳ね上がっているわけで、一番の理由は人手不足のよう。
なんかさぁ、ぐだぐだしている若者が都市に溢れて、ぐだぐだしながら「仕事無い」とか「働いたら負け」とか頭おかしなこと言っているかと思えば、方や被災地では一向に復興が進まない最大の理由が人手不足とか、、、、なんかね。もうさ、1年書き換えとかの就労ビザを被災地限定で出したらどうだろう。支那と朝鮮は追悼式にも来なかったからダメだとして、東南アジアの朋友は喜び勇んで出稼ぎに来るんじゃないかな。

ワシは正直、、日本人はもっと東北を助けると思っていた。ところが蓋を返せば、日本の嫌いな反日の「無知」と「サヨク風評」のおかげでの福島の異常な差別をはじめ、2年しても全く進まない被災地復興など、日本人は東北の日本人を助けていない人の方が多い事が明るみに出て来ていて居るのでは?、、、寂しい。
これは政治の問題ではなく、システム構築の問題ではなく、ワシら日本人の心の貧しさの問題なのではなかろうか?と、2年経ってひどく残念な気持ちになってしまったのですよ。

明日からドイツ出張です。<m(__)m>

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