9月 07, 2013

SF4日目、そして帰国


サンフランシスコ4日目は少しゆっくり目に待ち合わせをしてホテルを10時出発でのサクラメントデルタを通ってストックトンに向かいました。

アメリカ大陸というのは車で移動して初めてそのでかさを実感すると初めて分かりました。今までは点と点のイメージでしたが線と線で二次元的広さを実感するというわけです。行けども続くまっすぐな道と果てしなく続く平野、北海道とかそれどころじゃない。大平原の中に町が広がってきます。ここストックトンは人口約40万人の典型的なアメリカの地方都市ですか。郊外型ショッピングモールを抱えダウンタウンと新市街地が見事に分かれ当然アメリカですからメキシコ系移民の街や物騒な黒人街だとか。お金持ちはセキュリティのしっかりした本当にキレイな街に住み、そこから車で5分も走ればホームレスの集団がいるエリアとか、う〜んまさしくアメリカ。 

そんな街で開業しているDr.Kyのオフィスを訪れたのは昼を回った頃でしたか。カンボジア移民の彼の話を聞くと、いかにワシら日本人がどっぷりとうわごとのような平和に浸かっているか分かります。彼は子供のころカンボジア内戦でカンボジアからタイへと逃れ、アメリカが移民を受け入れるグループにたまたま入りヒューストンへ、そしてここストックトンまでの間、とにかく公費を使って兄弟皆勉学に励み無一文からここまでになったアメリカンドリームを見事に成し遂げた一人なのです。

ホームレスの通院中の患者のカルテ
詳細を聞きましたがあまりにすごい生い立ちとしかいえません。それほど自分たちの安穏さに慣れすぎたワシらがいいのか悪いのか。フィリピンで領有権を支那と争っている島にいつの間にか支那の建造物が出来たと今日に新聞にありました。
この世界の緊張を9条ごときであれこれ言っているワシラのバカさ加減に思わずはっとさせられる、そんなことまで考えさせられる彼の人生です。アメリカンドリームを称賛するわけではないし勝ち組負け組ととやかく言う必要もありませんが、その根底の根性はワシラが忘れかけていた気持ちなんだろうかと複雑になります。
そして、そんな彼を含む成功者達は、全く出費にしかならないホームレスのためのクリニックや食事配給所を作っていました。州や群の公的資金は全く当てにせず、社会的弱者のために基金を作り、しかも交代で彼らの診療にあたりもちろんボランティア。米国にも自分の自慢話ばかりする偉い先生は沢山居ますが、こう言う素晴らしい先生も居ると言うことですね。

帰国日、もう一度サンノゼのクパチーノまで車で足を伸ばし、土日休みで行けなかった本社アップルストアでみんなのお土産を買いました。本社ストア限定のグッヅをよく見るとメイドイン支那ですわ。・・・複雑ですな。が、T−シャツとかはエルサルバドルとかでちょっと安心(笑)。
最新のボーイング787で帰国の途についたのでした。

0 件のコメント: