6月 20, 2014

自分にとっての巨星落つ

18日、青森でいつもの仕事をしている最中、いきなりですが、2週間前ワシにとってかけがえのない恩師K先生をなっちゃんと2人ご自宅で見舞い、そのひどくきつそうな状況をふと思い出したんです。

長男に電話をしたのが2時過ぎだったか、
「おれたちが行ったんで無理したみたいだね、その後緊急入院してどうなった?」
「いえ、すぐに自宅に帰りましたがもういけません」
「そうか、本当に会わせてくれたありがとう」
そんな会話をして電話を切りました。そしてそれは「虫の知らせ」となったわけです。その2時間後、奥様から「他界」された電話を頂き絶句しました。

あの時、にこにこ笑いながら、最後に固い握手と抱擁をして「ありがとうありがとう」と何度もおっしゃっていました。ワシは耳元で「本当にご苦労様でした」とささやくのでした。

思い起こせば30年ほど前、とあることでK先生の診療室の敷居をまたぐことになったワシは、そりゃもう新米のくせにくそ生意気な新発売の歯科医師でした。そんなワシがどうにもこうにもこの人を超えなければ自分の将来は明るくない、、と感じ、というか、そう教えられ、今の今までこれからも頑張ってきたわけです。朝の4時5時まで飲み明かし(笑)しかも無駄話は一切なし。常に、歯科医師として目の前の病気とどう向き合うか患者とどう向き合うか、そして社会とどう向き合うか、そんな事ばかり延々と空が白み始めるまで語り合いましたし、10歳年下のワシの意見も本気で向き合ってくれたものでした。

「おまえは何かと大丈夫だから2年で開業しなさい」

ワシにしてみれば「他界」ではなく「入寂」と言わせていただきたいほどの、師です。
開業したその後も組織の様々な仕事を、若輩のワシに任せていただいたり、学術的見地を否応なく見せつけられたり。

そんなK先生が作った勉強会がHERZ会です。更新はしていませんが詳細はここです。
今でもその思いを着実に引き継ぎ、ますますを持って若き歯科医師達に思いを伝えています。

K先生が居なければ、確実に今のワシは絶対あり得ません。昭和63年、開業祝いにもらった
師直筆の書は今でも院長室に飾ってあります。

「近くのもの喜び、遠くのもの来(きた)る」


次は先生の息子の時代です。任しといてください、朝まで飲ませます。ワシらは彼らに恥ずかしくない仕事を残し、引き継いでもらわなくてはなりません。そしてその次はワシの息子の時代です。こうしてクリニカルデンティストリーのページが一枚一枚めくられていくのです。

合掌。

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