月曜日, 11月 23, 2015

ゲージツの秋ももう終わりで・・・

20年程前の浅田次郎氏の「地下鉄に乗って」を久しぶりに読んだ。堤真一が主演で映画にもなった。iTunesでも借りれますね。

と言っても、先週沖縄に行くときにキンドルでだけれど。ミステリーだけれど、そして当時としては比較的ありがちなタイムトラベルものだったけれど、SFだけになってしまわない氏の凄さかな。完全に「みちこ」に感情移入してしまうワシはどうかしてるのかな。そして最後の結末に、あれはなかったことだった過去として現実がやってくるところなど、さすがだよなぁやっぱり。「みちこ」の時間へ戻る事をあえてしない主人公「真次」の思いが痛くわかる。
ほら、ちょい古いけど読みたくなった人いませんか?(笑)。

沖縄帰りに、今度はさすがに話題だから「火花」を読んだ。う〜ん、面白いけれど純文学に関西弁がワシにはきついのだ(笑)。差別と言われようがなんと言われようが、関西弁の会話からイメージするシチュエーションと文学的な語呂のタイミングが全く合わない。ワシは純文学が好きだし芥川賞も嫌いではない。でもね、これ、心が躍らなくて寝てしまったのさ(笑)。又𠮷氏に謝罪。素晴らしい作品にごめんなさい。
結構好き嫌いのある作品に仕上がって?いるのかもしれません。


以前から読んでいたが「乙嫁語り」という作品を知っている人はどれくらい居るかな。森薫氏の漫画の描写は筆舌に尽くしがたい。素晴らしいのである。物語はモンゴルだけれど支那との歴史背景に注意が必要かも。是非ご一読を。







そして、ちょっと古いが、アタマを休めるのに寝しまに読む漫画として選択したのは、ルーミックワールド(笑)でした。「境界のRINNE」。個人的にとても面白いのだがこれも評価が分かれるかな。






いずれにせよ、映画だろうが小説だろうが漫画だろうが舞台だろうが、表現の仕方が違うだけで芸術は芸術。表現の仕方でカテゴライズするのは如何かと思う。



あ、忘れていた。カウリスマキの2011年作品「ル・アーブルの靴磨き」ちゃんと見て無くて、ま、見逃していたのと同じなので、この間ストックホルムへ行くときにきちんと見たんだっけ。この監督の作品はすべて集めているけれど、なぜこんなに好きなのか分からない(笑)。心が良い。浸みて良い。すべての角度が良い。沢山良いところがあって(個人的にね)たまらなく好きだねぇ。







水曜日, 11月 18, 2015

自分ができる事は祈ることだけで申し訳ない

今日は青森出張。今、新幹線待ちで前半のこれ書いてます。明後日は久しぶりのしびれるオペが待っていて東京から麻酔科のドクターが来てくれるのは本当にうれしい(笑)。
さて、

かつて、柄ちゃんと二人で車でスイスからフランスのストラスブールのインプラント学会に向かった時、一旦ドイツアウトバーンに入り西に折れてフランスのイミグレ直前でちょっと心配になった。スイス入国時は日本の赤いパスポートで「やぽーん」とフリーだったけれどなんかこっちはフランス語で聞かれたらどうしようとか。当時スイスはまだシェンゲン協定に加盟しておらず隣国ドイツからでも入国審査があった。フランスとてドイツとはEU仲間とはいえ、、、という心配は無用で、かつての検問所を横に見ながらそのまま何のことはなくフランスに入国できた。こんなに簡単なんだと感心したものだ。そしてこんなに簡単だから誰でも入国できるということがどういうことかきちんと理解はしていなかった。

あれから10年。フランスは国境を封鎖している。あたらな戦争だと大統領は言っている。多くの罪もない人々の犠牲という累々とした魂の敵(かたき)を取るだけではなく文明に対しての挑戦に真っ向から戦う姿勢のようだ。多くの犠牲者にさらなる追悼の意を捧げるしかわしはできない。当事者を目の前にしたら、「負の連鎖」などと軽々しく言ってはいけないような気がするが。9条がなによりも大切なあなた方に、こう言う場合の最適な対処法を聞きたいし、是非フランスに進言しては。世界の中で、実は特殊な「平和」に対する異端児の話として聞いてくれるかもしれない。いや聞くわけがないと思う。

土日沖縄を訪れた。支那人であふれかえるこの地で、以外と暢気なウチナンチュにかなりほっとした。地元の人の話で(遺跡のガイドさん)私たちは太古の昔から非常に貧しかったので縦の俯系が無い。皆横の俯系しかない。だから皆平等で困ったときにはお互いに助け合う精神が強いのだとか。小さなパトリを形成していた昔の日本人は皆そうだったからこれは同じかな。
しかし、沖縄のその暢気とも言える素敵な平等意識に旨く絡みついたのが、共産主義とサヨクだったのではと考えた。その証拠に沖縄のマスコミは完全にいかれている。正しいとか正しくないとか関係ない報道が、当たり前のように流れている光景にぶち当たった。まあ大体、沖縄の朝刊の一面で驚くが、みんな慣れっこになっているのか気にしてないのか。一番騒いでいるのは、どうやら本土から来たサヨクな連中だと行けばすぐ分かる。困ったモノだ。

穏やかで静かで歴史もゆっくり流れている今の沖縄をどうしてくれるんだと大騒ぎする本土の左巻き。しかし、冷静に、何があっても沖縄の魂は廃れはしないでしょというのが本当の感想。越冬するにはもってこいの場所を今からゆっくり探したい。

そんな場所にあった、白百合の園という老人ホーム。羨ましいなぁ、このロケーション。ウチのホーム第二段とかもこんな所に建てられたら最高だなぁとか考えていた。


過去に今に何があろうが起きようが、久高島の神々にすべて浄化され続けているこの空と海に感動するのでした。

月曜日, 11月 16, 2015

負の連鎖を断ち切る とは???

FBの追悼トリコロールにサヨクな批判が集まっている。いかにも自分は深く考えているんだという文面が至る所で乱舞している。そして彼らの共通した言い分が「違和感を覚える」で、時に「スパムで情報を盗まれる」まであり、いかにもという感じか。そして共通の「負の連鎖を断ち切る」事が眩しいくらいの自画自賛とともに、実はその思いの奴隷となっている。

では冷静に彼らの言い分を考えてみようと思ったが自己矛盾の連続でどうにも完結しない。結論からあえて言えば、有史以来の戦いの連続の悲劇の連続のその背景にある人のエゴの根本が、現代の価値観からして過去の人間は今よりその思考もエモーションも明らかに劣っているということに帰結する。
そうなのだろうか?無抵抗主義のガンジーでさえその自己矛盾を表に出して苦悩した。テレビで重宝される左傾化論説者は口を揃えて「話し合いの場を」と力説している。可能ならその圧倒的な貧富の差を解消するべきだと。

そうなのか?とっくにそれが可能なら搾取のない実に平和な世界がとうの昔にシステム化されているのでは?どこまでいっても絵空事の平和論が好きで好きでたまらないよう。
文化も言葉も宗教も気候も教育も幸福の価値観も何もかも違う世界を何故作ったのか一つの参考として旧約聖書を紐解いてみるといい。人が暮らすという事が戦いを必然とする大いなる矛盾に満ちていることの解決をかつて人類は経験をしていない。目先の幸福論で矛盾もなく解決できていないというわけだ。


テロルは今始まったことではないが、極悪非道な戦いの手段であろう。それを極悪非道と判断することに誰も否定はしない。しかしこれは自由主義社会の話であり彼らはジハードと呼んでいるではないか。話し合いの共通点は全くない事がお分かりか。
連鎖を断ち切る言い分から慮るに、誰かが死んでも身内の誰かがテロの餌食になっても無残に我が子が目の前で殺されようとも私は許すという思いもかけない思考回路にただただ驚く。そうならないようにしたくはないのだろうか?その手段としてあなた方は「話し合い」を選択するという事だろうから政治的な無力さを非難しているのだろうか。できるわけがない。

チェコの友人がいち早くトリコロール追悼アイコンを選択した。これとて彼の国の過去の歴史観から我々日本人とはそもそもの思いが違う。獲得した自由と平和を守るそもそもの気概が違うのである。
戦争は狂気であることを否定はしない。しかしそこに至るまでの経緯を否定する事はできない。かの社民党のお馬鹿さんが、話し合いで解決できる世界を作る事が政治の使命だと言った。端から聞けばなるほどと思う人も多いだろう。が、その為にどれだけの人間が犠牲になるのかという矛盾もまた有史以来の人類の歴史から学ぶ事ができる。さあどうする。世界は経験のない局面に来ているというが武器が進歩しただけで中身は何も変わってはいない。支那の崩壊が目前に迫ってきている中IMFの異常な判断の中第三勢力がその隙をついてきている事は間違いのない事実なのだ。築き上げた自由と誇りの為になら、単純と言われようがなんと言われようが、「そうなる事への抵抗」を忘れてはならないと思うのだが如何か。

多くの国を訪問して思うのだが、もしかするとこの自由に往来する状況はすでに限界なのかもしれないと感じる事がある。他国での日本に比べた圧倒的な不自由さは日本人にしかわからない。日本はディズニーランドと揶揄されても仕方ないほど美しくそして優れて便利だ。しかしこの先、それを守る為にかつてのような一定の制限が国家間にできてしまう事もまた避けて通れない歴史の事実でもある。

本当に単純かもしれないが、ワシは家族や身内を守る為に暴漢とは戦う選択をする事は間違いない。
フランスのみならずトルコやロシア機の犠牲になったそして紛争の絶えない国家に生まれ犠牲になった多くの方々に心から追悼の意を申し上げるのである。



月曜日, 11月 09, 2015

医院や勉強会の周年記念事業の意義

山形スマイル倶楽部の20周年記念シンポジウムに参加してきました。合わせて兄ちゃんこと高木先生んちの開業70周年記念パーティー。素晴らしかったですね。自分もかくあるべきとしみじみ感涙(笑)。

いろんな歯科医院の何周年記念とかみてると、誰のためにこれは開催しているんだ?てのが多い。知り合いになってハクが付いたかなんだか知らないが、小偉い先生や大先生が主賓を飾り財界の重鎮がここぞとばかりに挨拶する。確かに、多くの大先生のおかげでそうなったのは分かるけれど、こう言うのは何も面白くないばかりじゃなくあきれちゃう。顕示欲的何十周年て興味なし。主賓に対してスタッフに酌をさせると
か言語道断(笑)。逆だろ。(笑)
今まで支えてきたOBスタッフや現役スタッフその家族、そして何より右腕として支えてくれた女房殿への多大な感謝という素晴らしい目的を持った記念会ではないのかな。高木歯科の70周年はまさにそういう素晴らしい目的を持った記念大会だった。「おまけ」で外人が居ただけだから(笑)。三年後ワシも気をつけよう。誰のための30周年か。

山形はかつて、八戸からは東北でも指折りの遠隔地でした(笑)が、今や八戸から2時間半で着いちゃいます。新幹線が時速320キロの本当の超特急になって、八戸-仙台が1時間ちょっととなったおかげです。仙台で乗り換えて仙山線のつなぎが良かったのでそちらへ。紅葉シーズンもあってか激混みなのでした。しかし、超特急後の仙山線のトコトコ感は素敵。

宮里先生来週行くからね
















2日間にわたって行われたシンポジウムでは特に前半のDr.Takagiのインプラントの変遷は非常に面白かった。そういえば今までBC(before Christ)AC(after Chirist)になぞらえたカオス的な時代を経験したインプラントのBO(before Osseointegration)AO(after Osseointegration)的年表のなんとわかりやすいことか。すでにAOの時代を10年も超えているたにも関わらずポーラスインプラントなるモノを盛んに「これは最高に素晴らしい」と勧めていた某KRD先生の講演会で激
論したのを思い出した(笑)。いずれにせよブローネマルク先生の時代の寵児たる存在はすごいもんだと改めて感心、と同時に、その中を自在に泳いでいた兄ちゃんもまたすごいわけだ。90年初頭に出会いたかったモノであるな。

東北大教授の高橋先生のご講演もまた、いかに的確な手術が多くの人を幸せにするのかというお手本のような話。わしは口腔外科医ではないが我が件(くだん)の小手術がいかに手を抜いてはいけないか改めて実感。すごいなぁ。


2日目公演のDr.Smailer Mr.Casellini Dr.Snetivyはみな兄ちゃんの兄弟と言われる。SmilerとCaselliniは特にまむしの兄弟と言われる。高木のにいちゃんと呼んでいるから、、ということはワシの兄弟でもあるのか?ないな(笑)。格が違った(笑)。
で、Dr.SnetivyのSPIの話は沢山聞いたが、相変わらずのきまじめさはスイスメイドとはなんたるかを教えてくれる。日本人が忘れてしまったかもしれない本当の誠実なものつくりがいつものように伝わってきた。Dr.SmilerとMr.Caselliniは二人ともかるく70歳オーバーという事だが信じられないね。元気すぎだろ、腹もすんごい凸し。
世界で一番審美にうるさいビバリーヒルズを相手にしているのだからそりゃすごいわね。が、ワシはひねくれ者なのですごく気になることがあるし、これは米国の学会でいつも感じることだが。。。。

施術前の口腔内の他院での散らかし具合に唖然とするんだが、、ワシだけか?こんな奴八戸でもお目にかかることはないなぁ。どうなってんだ?米国の普通の歯科医師(笑)。
米国の歯科医療システムが悲惨だというのは分かるが、この適当さはどうにも理解できない。そして相変わらず「その歯・・・抜くか?」事情は分かるよ、もちろん。
でもワシは出来ないな。

とにもかくにも、最高に充実した最高に楽しい最高に素晴らしい2日間の山形なのでした。



金曜日, 11月 06, 2015

衛生士ミーティング

定期的に行っている当院の衛生士ミーティング。
本日のお題目は3項目ありました。まず1つ目は、Dr.がカウンセリングしている内容の哲学と技術提供の再確認。どういうことか簡単に言うと、当院歯科医師達が何を考え患者に何を提供しようとし、そして将来どうなりたいのか、、という非常に哲学的命題色の強いモノ。ともすれば、知識を提供する技術ばかりになりがちな昨今の歯科医療にとって、診療哲学の患者への提供や共有は、実はとても大切なことではないかと考えているからだ。
もちろん技術は大切だ。これ以上の必要十分条件はない。しかしこれこそ「当たり前」のことであり、昨今のコンサルが無視する(そんなことで患者は集まらない)内容らしいのだが、技術無くして何の歯科医院かという強い思いがワシらを動かしている。その技術の裏付けの哲学が重要なのだよという話。

2つ目は、来年来てくれる(内定している)新人衛生士達とどうやって一緒に仕事をしていこうかという話。当院の基本的な考え方は、育ててから働いてもらうのではなく、育てながら働いてもらうのではなく、働いてもらいながら育てていくのではなく、、働くことで誰でも育っていく事を認めることが重要だと考えている。だから、新人教育が優先順位の上位には来ないのである。これはスタッフ教育で一番重要な部分であると確信している。
そんなウチへ来て頂ける衛生士さんに感謝なのである。

3つ目は、衛生士同士のブラッシング指導におけるコンセンサスと言うことで、今回当院がセレクションしたメソッドは「つまようじ法」なのである。すでに多くの歯科医院で取り入れられていると思う。ペリオにおいて一番効果が高いであろうという様々な文献をひもといた結果これを選択。現在岡山大学の名誉教授をしておられる渡邊先生御考案の方法である。難しくはないし、歯ブラシが結構早くダメになること以外さしたる問題もなさそうで、当院としてはスエーデンの「TEPE」でざっくり、その後比較的安価な歯ブラシで「つまようじ」という仕立てでしばらく行ってみることにする。
どうなるかな。。

先週青木先生の講義を聴いてから、やはり刺激を受ける(笑)。自費だろうが保険だろうが全顎補綴の場合(PRD補綴分類クラスIII以上)で感覚的にはしょっていたセファロ分析を復活。きちんと計測しようがしまいが評価が同じでも、補綴だからこそ計測して最高の状態で提供する事を心がけていかなければと反省。本当に特別な人にしかしていなかったこう言う計測やアキシオグラフ顎運動検査を、ウチではなるべく多くの人に提供しようと考えています。というか、10年以上前はそうだったのだけれど、、、、、なんか、慣れちゃったんですね。計測しなくても経験則で、、、確かにおかしな事にはなりませんが良くないですね(笑)。