12月 26, 2016

あっという間の一年に、ある意味感謝!

今日26日はまだ仕事です。28日が仕事納めで29日が大掃除と大忘年会。今年のゲストは「王様」です。30分ほどのミニコンサートを企画しました。でもね、もう若い世代は「誰この人?」という感じで少し寂しいかな(笑)。

先々週から怒濤の7連チャン忘年会で、ワシの体はくたびれていたおかげで、各種忘年会が終了した23日の翌日、世の中は天皇誕生日でお休みなのだが朝から通常業務。その日の夜から(イブの夜)朝まで、一度も目を覚まさず10時間という時間爆睡していました。
クリスマスの亡霊と呼ぶ「クリスマスの夜なんだからぁ」という特別感は、ワシには全くない。子供も大きくなってまるで関係ない。孫がもう少し大きくなれば話は別だが(笑)。

バブルの時代「私をスキーに連れてって」あたりのクリスマスの特別感は半端じゃなかったと記憶している。一年何もなくてもこの日だけは若い人(カップルとか)にとってはものすごく特別な日なんだと洗脳されていたわけで。当時のドラマのクリぼっち(当時はこの言葉はない(笑))なんて、この世の終わりかのような挫折感(笑)。うははははは。これを今の40代とかまだ引きずっている諸氏がたくさんいるのだ。

今年一年を振り返るにはまだ少し早い気もする。もう数日したら今年の総括をしてみようと思う。最大のニュースは初孫でしょ?といわれそうだが、そうだろう。孫が生まれるのを契機に、実は徹底的に熊坂家の系図を調べてみた。大量の資料が出土し(笑)言い伝えや伝承で言われてきたことが実はやや違うと言うことがわかった。

うちは会津から今の地に来たことは確かなのだが、先の大戦である、戊申戦争に敗れ斗南藩の片割れで青森の地まで来たという事実はどこにも見つけることが出来なかった。しかし、福島県高子や保原の熊坂の流れをくむことは確実で有り、有名な熊坂蘭斎という蘭学者や熊坂適山という画家を輩出している。残念ながら伊達家の家臣であった熊坂氏や米沢にいた上杉家家臣との直接のつながりは見つけ出せなかった。つまり、戸籍上は武士の身分ではなかったと言うことだが、戦に負ければ身分を隠し百姓を名乗る事がごく普通の時代では、武士にこだわるなら何かの証拠を見つけなければならない。
(頭を落とされる夢や腹を切る夢を見るからね(笑))

それが嫁に来た家の身分でわかる。我が百姓の家に武家の娘が嫁いでくる矛盾を見つけ出してしまった(笑)。そうか。百姓のふりをして隠れ住んでいたのか、ワシの先祖は(笑)。
さらに新しい発見としては、上杉景勝と三郎争立時、反景勝派に居た上杉熊坂氏は、、三郎方不利とみて北条を頼ったのだが、今の神奈川県一体の熊坂の祖ではないかと思っている。

どうも肝心な1800年代の確実な資料だけが欠如してしまい、明らかな系図が1800年代で霧がかかってしまった。ただ一つ、家紋から今度はこれらを紐解くと、石川から日本海側を山形に抜けてきた熊坂家がクローズアップされてきた。祖先は熊坂長範である。勿論此こそが藤原氏北家から別れた熊坂の祖であり、上杉、伊達へと分派する普系なのであるが、これらは家紋が変わっている。
ああ、長い歴史の中で大いに各地に流れ、そして今自分がここに居る奇跡と、それを2016年まで引き継いできた奇跡を。事実として垣間見たのでした。そしてまだまだ我が祖先への旅は続くのであ〜る。

年末だなぁ。



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