月曜日, 1月 08, 2018

模倣する日本人の心と歯科医療

最近、西部氏「国民の道徳」や「国民の歴史」あるいは境野氏の「日本の心の教育」や、私の好きな原田伊織氏の「明治維新という過ち」が静かにまた売れ始めているようだ。維新政府により歪曲された明治からの日本の近代史にとても重要な文献だと思っている。

グローバルという言葉が一人歩きし始めてどれぐらい経つのだろ。どうも最近、日本のどの業界でも150年前のような嫌らしい模倣が始まってきているようでならない。模倣は近代大陸国(半島も含め)お得意どころであったはずなのに、最近の日本はクリエイティブな動きが何か停滞しているようだが。グローバルとは自国の文化歴史を正しく理解しプライドを持ってこそのグローバルなのだ。西洋かぶれとはき違えてはいけない。

歯科医療でも同じかもしれない。私が国際学会に積極的に出向くようになったきっかけは、97年頃アメリカの学会で、南米の小さな開業歯科医師の感想としての北米の実態を聞いてからだった。彼らは北米の最新的な歯科医療を勉強するために比較的近場であるという理由で頻繁に北米を訪れていたようだ。その北米歯科医師達の大きな格差は逆に彼らには衝撃で、私が今感じる北米歯科医療に対する思いとあまり変わらない。「お金がなければ何も出来ないよ、こんな高いインプラント(原価)をウチの国でどうしろと言うんだい」「こんな治療費ではごく限られた特権階級しか治療の恩恵にはあずかれないだろうな」。。。そんなことを言った。

我が国は社会主義ではないにもかかわらず、世界にも類を見ない社会主義ファウンデーションな医療システムを構築している。その効果は計り知れないと思うのだが、何せ世間が自国の批判が正義とばかりに更なるシステムのアップデートを阻害しているようで、本当の問題の部分が見えてこない。だから、未だに北米歯科医療と比較し模倣することが正義となって久しい。確かに世界一の技術と知識の宝庫かもしれないが、彼らはそれを国民に提供するすべを基本的に持っていない(良心だけでチャリティーという形のシステムは至る所にあるが)。だから6000万人に及ぶ歯科医療難民があふれている。あくまでも医療はビジネスなのだ。

日本においては、初診から一根管抜髄して根充までの評価額は約800点(8000円)ぐらい。北米専門医の約15分の1だろうか。そこから換算される数字は当然日本の医療システムにおいて正しく実戦されるなら、大変な赤字になるか全く収益がない状況になる。
最近私がおかしいと感じ始めた一番の理由は、その部分を大学教育なり何なりで医療経済性に合わせた学術的革新が日本において全くなされていないことにある。北米の模倣から換算ばかりしているが、コストをかけずに技術革新や付随する機器の導入で、評価に即した収益を上げる研究が全くなされていない事に大きな疑問を感じる。日本の近代歯科医療が西洋の模倣から始まったことはその通りだが、それからいったい何十年経過しても模倣なのである。日本独自の歯科医療経済性に鑑みた技術革新が全く行われていない。

と言うことは、、多くの日本国民はアメリカのようなビジネスとしての医療システムをを望んでいると理解して良いのだろうか。

いや、私は違うと思っている。
全てのことにおいて、あまりのも自分の国のことを知らなさすぎる。だから医療ばかりではなく社会全体が日本と言う国に対しての「無知の知」を考えるべきで、結果静かにも冒頭の書籍がまた少しずつ売れ始めていることにうれしく思ったりする。





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